過去のそれならそれで別にいい
(aranme)

本編その13:「あれやこれや」


お久しぶりです。お元気でご活躍のことと思います。日常のあれこれに振り回されて心がささくれ立っているような気がして、ついご連絡するのが遅くなってしまいましたこと、お許し下さい。

昨夜はHouston Museum of Natural Scienceにて、「FORBIDDEN CITY」一般公開に先立つメディア対象のPREVIEWがあり、主人の仕事の関係で参加致しました。北京や台北の故宮博物館に保存されている中国歴代皇帝の宝物、肖像画や食器、筆記用具、王妃の衣装、寝室の様子やトイレ、それから映画「ラストエンペラー」の主人公、宣統帝溥儀が宮殿内を乗り回していた自転車なども展示されており、私は久々に脳を刺激された後の心地よい興奮に浸っております。展示室の出口でDid you enjoy it?と尋ねられたので、Yes, but I need probably 3 more days to satisfy myself.と答えました。日本の都市部以外に住んでいれば、恐らく目にする機会がなかったであろうこれらの展示物を間近に見られることは、ヒューストンという街にすむ一つのPrivilegeだと思っています。

そういえば、このあいだ不思議な気分に囚われたことを思い出しました。内職の翻訳をやるためにPCに向かい、見るともなしにつけたTVが、代々木で開催されていたフィギュアスケートの大会の様子を流していたのです。不思議な気分というのはスケートの演技についてではありません。真剣に見ていたわけでもないのに私の目が画面に釘付けになったのは、カメラが観客席を遠景で映した時でした。目の端に引っ掛かっただけの画面の、何が、どう気になっているのか、自分でもしばらくわかりませんでしたが、しばらくして気が付いたこと、それは、「色」でした。

うまく説明できるかどうかわかりませんが、簡単に言うと、単色の黒が占める割合の大きさが私の目を掴まえたらしいのです。もっとわかり易く言うと、観客席にぎっしりと黒い碁石が並んでいるような・・・。この感覚は、日本に一時帰国した時に駅の通路や人込みでいつも感じる一種の恐怖と底辺で共通しているらしいと思います。たかが10年とはいえ日本を離れて暮らしていると、こんな変な感触を持つようになるのです。久しぶりに東京の様子が画面に流れているというのに、懐かしさを感じるより先に、その絵が奇妙だと思ってしまうなんて、おかしいですね。

私は当然黒い髪で日本人なのですが、もしかするとメンタリティはすっかりエトランジェなのでしょうか。

この国には、日本も中国もベトナムも区別がつかない人がたくさんいます。信じられないかもしれませんが本当です。彼らにとってアジア諸国は日本も含めて「髪の毛が黒い黄色人種の国」という一括りで理解されているようで、どれも同じなのです。例をあげると、病院に行ったとき、「たまたま居合わせた英語を話すオリエンタル」として看護婦さんに緊急通訳を頼まれたことが何度かありますが、大抵の場合、通訳が必要なのは日本人ではありません。残念ながら私はベトナム語や韓国語や中国語はわかりませんので、丁寧にお断りしていますが、必ず「アジアの国といってもたくさんあって、それぞれが独自の文化や言語をもっているのよ」と付け加えることにしています。

昨夜のPreviewに集まった人々は、展示物の性質から当然中国系の方々が多くいましたが、それでも大半が白人でした。私はおそらく唯一の日本人だったと思います。こういう催し物に集まる人々は、おそらくある一定の生活レベル以上であり、それなりの教養をお持ちの方々です。そのなかに日本人が私以外誰もいない、というのもまた、妙な話だと思いませんか。

日本人が集まるところは、言い換えれば駐在員が集まるところであり、それは決して博物館や劇場ではありません(但し、日米協会や領事館や商工会が後援する催し物の場合は名詞を交換する駐在員とその奥様方で一杯になりますが)。意地の悪い言い方をすれば、日本人は、日本人がイニシアチブを取れない場所ではまず見ることはありません。

元々はヨーロッパからの移民が建国した合衆国ですから色々な人種がいて当たり前で、外国人に対して開放的である一方、明らかに存在する差別意識や無知。また、いわゆる単一民族国家(異議はありますが便宜上この言葉を使います)として東の小さな島国から経済大国に成長した日本と日本人の持つコンプレックス。戦争や革命のために祖国を出てアメリカで暮らすアジアやアフリカの様々な国の人々の逞しさと結束の堅さ、その閉鎖性。こういうものは言葉にするよりも実際に自分の肌で感じなければわからないかもしれないと思います。でも、言葉にしない限りお互いが理解することもまた、不可能なことなのではないでしょうか。

あれこれいろいろ考えながらこの国で暮らしてもうすぐ10年目の日がやってきます。「まだ10年」なのか、「もう10年」なのか、どちらにしても3月19日から11年目に突入です。

日本はまだまだ寒い日が続くのでしょうが、春はもうすぐそこですね。桜の花が咲き始めるまでにはもう1ヶ月もかからないでしょう。残念ながら今年は日本でお花見をすることはできません。その代わりといっては何ですが、これもまた主人の仕事の関係で、4月末のハワイ出張に同行することになっています。配偶者同行という会社からのお達しのため、経費は会社から出ます。私は自分の仕事を休まなければなりませんが、この機会を逃すとハワイは飛び越すだけで途中下車することは一生なさそうですから、上司に無理を行って休暇届にサインをもらいました。ハワイまで出てきてくれたらお会いすることはできるのですが、ご都合はいかがでしょうか。お忙しいようでしたら別にいいのです。ちょっとムシの良いことを考えているだけですから。

それではまたお便り致します。お元気で。


本編その12:「生きてます」

       

気が付いたら前回から半年以上も過ぎ去ってしまっていた。いったいこの項は本編の何番めだったのだ、ということさえわけわからず、古いフロッピーを引っ張り出したら、前回が本編その11であったうわー。私がここに原稿を書いているっちゅうことなんか誰も憶えていないかもしれないけれど、なんか心に引っ掛かってはいたのである。いやぁ、ずんばぜん。

で、あんまり真面目に比較文化だのなんだの御託を並べると、そう簡単に原稿が仕上がらないので(ライオンな私は完璧主義者、部屋はきたないけど。)すっかりそーゆーことは忘れてしまって、そのへんにすっころがっているあれやこれやについてへろへろ書くことにする。で、もう11月の第4週。しあさってはThanksgivingなのである。また七面鳥なのである。去年の今ごろはルビママ夫妻がうちにいて、ヒューストン中あっちこっち駆け回っていたのである。今年はThanksgivingの連休前の3日間休暇を取ったので、暇だけはあるのだ。(でも金は無いぞ<きっぱり。)

で、5月から11月までの間には長くて暑い夏があって、会社では人事異動があって社長が交代して、うちの家族全員10月に誕生日があってみんな一つ歳とって、11月の4日にルネッサンスフェスティバルというのに行って、11月7に日には大統領選挙があった(まだブッシュかゴアか決まってないけど@11月20日)のだ。ほら、一瞬のうちに半年をクリアしてしまった。

ルネッサンスフェスティバルというのは、ヒューストンから北北西の方向へ車で約1時間ほど行ったところで毎年9月終わりから11月初めにかけての週末のみ開催される催し物。1500年代のヨーロッパの文化を模倣した大規模なテーマパークである。1975年に15エーカーの土地を使って始まった催し物が今年26年目、50エーカーを超える広さとなり、毎年30万人以上の人々が訪れる。ルネッサンスフェスティバルというのは全米あちこちで行われているが、テキサスが最大の規模を誇っている、とWebサイトに書いてあった。で、端折ってしまうので申し訳ないけれど、これを読んで下さっている皆様、今すぐここへ行ってちょ。
http://www.myalbum.ne.jp
メンバーIDは半角英語でfa090964。パスワードは空欄のままログインして下さいまし。11月4日にデジカメで撮りまくったルネッサンスフェスティバルの写真をマイアルバムにしてあります。やっと全部コメントも付け終わりました。

話はいきなり変わるけど、テキサスロングホーンという牛がいます。長くてひん曲がった巨大な角を持つ牛ですが、この写真を去年からずーっと撮りたくて捜していたのだけれど、悪天候の中がんばってルネッサンスフェスティバルに行く途中で運よく発見して撮影成功。これもマイアルバムに載せています。

一つ残念なのは、別の種類の牛(多分Herefordsという種類だと言う人もいるのだが定かではない)を見かけたのだけども、遠すぎて写真に撮れなかったことなのです。この牛は、(う〜ん、なんて説明したら解ってもらえるかな。ホルスタインってわかりますね?<白と黒のブチの乳牛>そのブチが整理整頓されてしまって、体が黒白黒という3色にきっぱりと分かれている牛なの。)あんまりにもきっぱりと幅広の黒白黒3等分な胴体なので、遠目からも非常に目立ちます。まるで冗談みたいなガラなので最初は目を疑いますが、ホントにいるのよ。

11月も後半となるとさすがのヒューストンでも寒い(時もある)ので、朝早くに出勤すると鹿の親子に出会ったりするのだけれど(さすがにもうワニはいない)、上手く撮影できることはめったになく、悔しい思いをすることも多いのです。

今週はThanksgivingのFeastの写真を撮ってまた記事に使ってしまおう、と思ったりしておりますが、大統領選挙の結果も気になるところであり、話題バラバラでワケ分からんというご非難を頂くことは承知の上で、Florida Supreme CourtでのHearingのTV生中継を見ながらこれを書いています。ブッシュさんと握手したことあるもんで。なんたってテキサス州知事だし。

ところで、昔TVの「マグマ大使」にゴアという悪者が出ていたのを知っている人は私だけではない筈だ。江木俊夫も出てたけど。

まぁ知らなくても別にどうってことないんだけどね。
    

        


2000/05/03
本編その11:「デパートの地下・魅惑の食品売り場」

     

新宿上陸記(五)が来ると思っていたであろう皆様の予想を裏切り、そろそろ後日談シリーズに入ってみよう。日付や時間を錯綜させながら3月末の東京での「??」と「!!」をピックアップし、わざわざお読み下さる方々に日米文化闇鍋の世界を覗いて頂けたら幸甚である。

日本の「デパート」の語源は英語の「Department store」であろうと想像するが、「七階催し物会場、八階大食堂、地階食料品売り場」という類はテキサスにはない。地階やエレベーターで上がっていくような高い建物はオフィス街やメディカルセンター等を除けば必要ないのだ。巨大なショッピングモールはあるけれど、それは大抵3〜4軒くらいの有名Department Storeとブランド品専門店を含む数え切れないほどの小売店が一つの大きな建物の中に集合したものである。その回りにはレストランや他の大型店が横長く連なった建物が並んでいる。要するに付近一帯は全部買い物客目当ての店舗であり、平べったくべろべろ〜んと土地を贅沢に使い、おまけにその回りにはこれまた広大な駐車場がどどどぉ〜ん、と広がっている。

そんなわけで、数年に一度梅田のデパートや高松三越に行くと、おもちゃ箱の中に入ってしまったような気分になって、私は内心「うひひひ」状態となるのだが、日本にいる時は回りの目を意識してしまうので、あまり「うひひひ」を顔に出さず、普通の人のふりをしている。但し努力が実っているかどうかは定かではない。

週末の渋谷のデパートにUSチームで繰り出した時、人込みにへたりながらも「あれ何?これ何?」質問魔米国人が沢山いるものだから、カーラと私は日本語英語混乱状態になりながらも健気に説明を続けていた。狂乱の買い物おばさま軍団から厳しい視線を浴びつつ、買う気は全然ないけど一人一人てんでにバラバラなモノを指差して「なになに攻撃」を連発するUSチームである。特に地階の食料品売り場では、ごった返す売り場で他人の迷惑顧みず、日米文化比較交流親睦会が行われたのである。

漬物コーナーの一種独特な香りが漂う中、胡瓜の糠漬けに興味を持ったアンジィがピクルスとの違いを訪ねる。うううう、味は全然違うしぃ、胡瓜も種類が違うしぃ…ここで漬物の作り方を説明するというわけにはいかんしぃ…と思っているうちに財布から1000円札を取り出すアンジィ。「一本だけ買う」と主張する。「包まなくていいからと伝えてくれ」と頼まれる。思わず顔を見合わすカーラと私。アメリカでは色んなモノを歩きながら食べたりするなぁ、確かに。…でもここは渋谷のデパートの地下だしなぁ…みたいな不安。本人は私とカーラの一瞬の躊躇の意味を知ってか知らずか、「私は日本食大好きで寿司とか刺し身とか平気だから大丈夫っ!」とのお言葉である。

渋谷の京王デパートの地下売り場を一周し、地上に出て電車に乗るまでの間、実に楽しそうに丸ごと一本の胡瓜の漬物を手に持って齧りながら歩いていた、まわりの人より頭一つデカいブロンド長髪白人女性をお見かけの方、彼女が犯人です。わはははは。

漬物と並んで日本文化の象徴だと私が思うのは何と言ってもお弁当である。それもデパートにしか売っていない手の込んだ「お弁当」。お米の文化のなんと美しいことか。材料から始まって盛り付けから味付けに至るまでそう簡単に自分では作れない。テキサスに帰ると絶対に食べられないっ!と悲壮な思いを抱いたまま食べるチャンスをうかがっていた私であるが、結局食べられないまま最終日を迎えてしまった。

3月27日ヒューストンに帰る日、午後1時にロビーに集合して成田へ向かう予定であった。早朝から本の山とスーツケースに「まぁ、そう意固地にならずにそこをひとつなんとか…」と語りかけつつ穏便に戦いを終え荷造り終了。で、私は固い決意を胸に秘め、ホテルから一人で地下食品売り場を目指した。

30分後、お昼までまだ時間のある月曜日、あまり混雑していない地下売り場でさまよう私は、売る側から見れば格好の攻撃目標となっていたようだ。私にはどれもこれも懐かしくてつい見入ってしまう。フと気が付くと売り子さん達の視線が痛いほど全身に刺さっており四方八方から声がかかる。辿り着いたお弁当売り場では「うひひひ」顔で佇んでいると、3人くらいから一度に「いかがですかぁ、おいしいですよぉぉぉぉ集中攻撃」を受けてよれよれに疲れる。恐るべし、地下のおばちゃん達。

柏餅桜餅お団子コーナー。出来立ての蒸したてで湯気が…。こんなもん食ったら血糖値が上がって大変なことになるとは知りつつも、毎日食べる訳じゃないしぃ〜と自分で自分に言い訳してみるのだ。成田ダラス間は遠いことだし、カーラにも分けてあげようと思いながら小銭入れをひっくり返す。日米コインが一緒になってじゃらじゃら出てきて選別作業開始。目ざとく見つけた売り場のおにいちゃんが「どっから来たんですかぁ?アメリカですかぁ?アメリカのどっからですかぁ?」と威勢の良い声で質問する。「僕も若い頃ワシントンDCにいたことがあるんですよぉ〜!えっ、今日帰るのぉ〜!!」その後小声で「滅多に食べられないでしょうからいいですいいです」と呟きながら、私の手のひらから百円玉を数枚拾い上げる。包装されて手渡されたパックの中身は頼んだ数より明らかに多い。わ〜い、嬉しいぞっ!…でも血糖値どうしよう…。

「一六タルト」はただいま入荷待ちです。なんだとぉ、一切れ食べたいだけなのにさー。午後には入荷致しますって言われてガッカリ。神戸の「ゴーフル」は軽くて缶入りだからつぶれません。お土産にはいいかもね。おぉ、岡山の大手饅頭ではないか、広島の紅葉饅頭も元気だったかい、お久しぶり。出身地の関係で関西に偏りがちとはいえ、全国有名銘菓一同揃って誘惑の魔の手を伸ばして来る。焼き立てパンとケーキ類は持って帰るにはヤワすぎるなぁ、漬物のにおいぷんぷんする袋を下げて国際線搭乗というわけにもイカンなぁ…、残念ながらあきらめよう。悶々と悩んでいる間に残り時間はどんどん少なくなっていき、荷物はどんどん増えていく。荷造り終ってんだけどなぁ…。

正午。ホテルの部屋で一人、にたり笑いを顔に浮かべつつティーバッグの日本茶を入れ、お弁当を広げる執念のあらんめなのであった。デザートまであるもんね♪

…もぐもぐ…いいでしょぉ別にぃぃぃ…もぐもぐ…。うへへへ♪…


2000/04/26
本編その10:「新宿上陸記(四)」

        

いつになったら終るんだ状態のまま多分(五)までいきそうな予感は多分当たるであろうと思っている筆者である。

3月26日日曜日である。この日、京都でBurst Fruits(前回のHP参照)のライブがあるため、妹は午後の新幹線で関西方面に帰らなければならない。私は大学時代の教授のお宅にお邪魔することになっていた。というわけで、それまでの中途半端な時間を我々姉妹は新宿西口のデパートで過ごすことにした。我々二人とも仕事を持っており、それぞれの日常はお互い忙しい。二人とも旅先であることが幸いしてぽっかり空いたこの時間、買い物の後はデパートの屋上でひなたぼっこである。

新宿のど真ん中のビルの屋上からの風景は、テキサスでは絶対に見ることのない様相で、車や宣伝カーの騒音と人の気配が地上からビルの壁を伝わって登って来る。360度見渡してみると僅かな空間もなく、建物と人と車で埋まっている。我々のすぐそばには子供たちの乗り物が「線路は続くよどこまでも」のメロディーを奏でている。空を見ればビルとビルの隙間には真っ青な空を背景にしてぽっかり浮かんだ真っ白い雲。二人でなんということもない話をしながらなんとなく幸せで静かな時を過ごした。そして、妹と新宿駅で別れ、私は目黒へ、妹は東京駅へと向かう。

教授のお宅でご夫妻と(久々の)知的時間を過ごし、先生の著作を数冊頂いて、帰り際に先生から「しかしなんだねぇ、君は日本女性の枠をすっかり飛び越えてしまったねぇ…」という感慨深いお言葉を頂戴した。

さて、先生のお宅を辞して今度は新宿東口紀伊国屋を目指す。日曜日の夕方、新宿の人込みの恐ろしさったら今更ながらに凄いものがある。思わず東口の交番のお巡りさんに助けを求めようかと思ったけれど、ここで挫けてはイカンと勇気を振り絞り、半ばヤケで人波の中に入っていく。数年に一度日本に一時帰国する度に本屋に行って逆上するのであるが、やっぱり逆上して数万円分の本を両手にズッシリ。破けそうな紙袋を2つ提げて、半泣きで西口のホテルに帰りついた。

本日、元気なアメリカ人達は鎌倉まで遊びに行ったのだが、彼らに合流して今回のツアー最後の夕食を共に過ごすべく、夜の歌舞伎町まで総勢9名で繰り出す。
入った所はまだお客さんが誰も入っていない小さな居酒屋風のお店で、いきなりワァワァ英語の団体が入ってきたのでお店も大慌てである。カーラと私がメニューの説明しながら注文し、わいわい大騒ぎしているところへ日本の若者(♂)3人組が入ってきて隣のテーブルに座った。他にお客さんがいなかったせいかすっかり仲良しになってしまった。

英会話教室から始まって、お互いの国歌斉唱である。若者1が君が代を全部歌えなかったのには内心びっくりしたけれど、彼に続いてカナダ出身のアンジィが一人オペラ歌手のようにカナダの国歌を歌う。さて、次はUSAの番だーってことで、私も一緒に「Oh, Say Can You See〜, By The Dawns Early Light〜♪」と大合唱の開始。余りの騒ぎにキッチンの奥にいた人たちまで全員出てきてボーゼンと我々を眺めている。わはは、アメリカ人だもの、楽しんでしまいますわよ。

カーラの「Play Ball!」の一声でUSチーム超大爆笑。その他日本人ワケわからず楽屋落ち。(説明:アメリカでは野球の試合の時、観客全員起立のなか、必ず国歌の独唱があり、終ると同時に審判の「Play Ball!」の一声で試合が始まる。)

そんなこんなですっかりいい気分で大騒ぎしつつ新宿地下道をホテルに帰り着く。部屋に戻った私を待っていたのは、「どーやってスーツケースに入れて持って帰るつもりだおまぁわよぉ〜」とすごむ本の山であった。

やっぱりまだ続きそうであるが、ま、別にいいかってことで…。
  

       


2000/04/19
本編その9:「新宿上陸記(三)」

怒涛の連載状態になっておりますが、これは単に薄れていく記憶と競争しているっちゅうだけの話なのである。3月27日の夜に無事ヒューストンに戻る日までを慌ただしく書き続けることになりそうですが、どうかご辛抱下さいませ。

3月25日土曜日である。オフィシャルには完全にオフの日というスケジュールであった。が、そこはそれ、元気一杯東京初めてのアメリカ人達は東京地下鉄観光に出掛ける。ウン十年前には都内で地下鉄通勤をしていた(嘘のようだがホントだ)ことのある私には、普段会えない人に会うほうが絶対的に魅力なのである。

時差ぼけの為またとんでもなく早起きしてしまい、寝直す努力にも疲れ、ぼやーっと部屋でコンビニ朝飯と3杯分のコーヒーをゆっくりと味わっていたところに妹からの携帯電話で10時過ぎにはホテルに到着とのこと。本日のメインエベントその一・さすらいのギタリストもその頃には現れる筈だということで、時間までまたぼーっとしている。
(参照「Burst Fruits」HP)

そろそろ到着ではないかと身支度整えてロビーに降り、ギタリスト(実は初対面)がその辺にいないかと見回す私の目に、黒い皮のジャケットとパンツに身を固めた細身の男性が煙草に火をつけている姿が写った。視線が合った。お互い一発で正体を見抜いてしまったのはなぜだろうなぜかしら。妹と合流し3人でホテル近くのレストラン(コーヒーのRefillがあった!)へ移動、そのまま午後3時半頃までひたすら話す。この間、サラダバーでやけどした奴が約一名いた。
(参照「ルビママの部屋」HP)

実はこの日、この後いろいろと目白押しのため、今回は事実を追いかけるのに超忙しい。夕方から予定のあるギタリストと別れ、妹と二人で西荻窪へ向かう。私の出身大学は中央線より北側、吉祥寺と西荻窪のほぼ中間にあり、すぐ裏には善福寺公園という自然がいっぱいの公園がある。西荻行きの理由は、本日のメインエベントその二・そこにいる猫たちを見に行くためである。
(参照「善福寺公園の猫たち」

赤坂から車で公園に向かっているHPの管理人くつしたさんと携帯電話で連絡をとりながら、西荻からバスに乗る。なんせウン十年ぶりなもんで、バスの乗りかたも忘れてしまった。乗る時に小銭を払うのね。はいはい、どうもすみません。バス一台がやっと通れるような道で対向車とすれ違う。我が道を行く自転車やバイクや歩行者がわらわらといる中、関東バスはどんどこ進んでいく。この運転技術は世界に誇れるのではないだろうかと感心しながら、内心ひぇ〜っ!!と脅えている私である。

教えてもらったバス停で降り、その辺を歩いていたおじいさんに公園の場所を確認し(情けないことながらかなり忘れている)とっとこ歩いて公園到着。くつしたさん(実は初対面)に案内してもらいながら公園を歩きまわり猫たちと猫語で会話する。途中2〜3度すれ違う度にぱたぱた小走りの若いおねーちゃんが妙に気にかかるのだが、これは(これも、だな)後日談にまわそう。
(参照「善猫レポート」

メインエベントその三・公園から大学の正門前にある喫茶店「ペーパーバン」に向かう。通りかかった道にある銭湯「天徳湯」やおそば屋さん「田中屋」、お菓子屋さんの「上野菓子店」は私が大学構内にある寮に住んでいた頃そのままの姿でそこにある。それを見ていちいち感動する私である。さて、この「ペーパーバン」、私は寮生の頃ここで長い間ウェイトレスのアルバイトをしていた。マスターと感動のご対面。当時赤ちゃんだった御子息が都内のホテルでシェフをしているという事実を聞いて思い切りのけぞる。私は彼のベビーシッターもしていたのだ…。

慌ただしいご対面の後、メインエベントその四・前回既に登場している埼玉の従兄弟夫婦と会うために再び西荻窪の駅へ向かう。西荻といえば昔からある「こけしや」というレストランが有名で、最年長者の彼にたかる算段だったのだが、卒業式・謝恩会シーズンの土曜日だったということを忘れていた。予約で満員、残念ながらウン十年ぶりに「こけしや」の味を(人の金で)楽しむという目論見は砕け散った。でも結局夕食は奢ってもらったけど。

私たち姉妹と従兄弟夫婦とくつしたさん、という今世紀最大の異色顔合わせの実現後、駅で皆と別れて姉妹で新宿に辿り着いた時にはもうすっかり夜もふけていた。

この日、インターネットがなければ成り立たなかったメインエベントだらけで、私は中身が超濃い一日を過ごすことが出来てすっかり自己満足。PCやインターネットが私の生活に如何に深く関わってきているかを再確認してしまった一日である。最先端テクノロジーがビジネスの世界だけでなく、いかに個人の生活を変えてしまえるか、というテーマで社会学のレポートが書けそうだ。

今回は一日の行動記録となってしまって実に申し訳ない。それぞれの詳細は、ヒューストンにたどり着いてから一つずつじっくり思い返して面白話のネタとして再利用、登場人物並びにHP関係者の皆様は再登場願う予定であるからして、心当たりのある方々はまぁだ安心してしまわないように。

しかし、いったいいつになったらこの話は終るんでしょうねぇ。当分ネタには困らないだろうから別にいいかぁとも思うんだけど、面白い?
   

  


2000/04/10 
本編その8:「新宿上陸記(二)」

      

忙しくてあっという間に一日が終わり、どんどん最近の記憶が消えていく。下手をするとこの新宿上陸記に書くべき内容が、ある日気がつくとすっかり「空白」になっているんじゃないかと脅えた私は、今朝眼科に行って眼底検査をしてよく見えないから今日はPCから遠ざかっていよう、という決意を思いっきり脳天逆落としで粉砕してしまった。

3月24日金曜日。朝起きると一番に血糖値を計り、インスリン注射してさっさと朝食をとる、という日常業務なのだが、前の晩寝る前に、ホテルで朝食をとるといくらかかるか調べ、ゲッと叫んで夜中の新宿コンビニストアまでカーラと二人で走って行って味噌汁とカレーパンを買っておいた。睡眠不足でぼろぼろに疲れていたけれど、朝ご飯に20ドル以上の円を使うなんて、そんな勿体無いことは絶対にできん。物価が超安いテキサスから東京へいきなり来ると心臓に悪い。でも、コーヒーだけは美味しいのを飲みたかったから、ルームサービスで3杯分入っているのポットのコーヒーを注文する。喫茶店でたった一杯Refillなしのコーヒーが500円するなら、750円出してもこの方がなんぼかお得っちゅうことだ。結局滞在中は寝る前に毎晩コンビニへ翌日の朝食を買い出しに行き、朝はルームサービスのコーヒーを頼む、というパターンが成立した。

私とカーラにはコンビニがあったけれど、日本が初めての他のテキサス人達はどうしたかというと、毎朝マクドナルドまで食べに行っていたそうだ。それでも高いと喚いておった。しかし残念ながら他にチョイスがあるわけではない。

カーラというのはAAの営業さんで、私の座席の隣で熟睡していたアメリカ人である。彼女はどっからみてもアメリカ人(白人)なのだが、なんと生まれも育ちも八王子、都立高校を卒業してコロラドの大学に留学(?)し、現在ダラス在住。両親や兄弟は現在も八王子在住である。私は彼女の顔を見て話すと自動的に英語で話し掛けてしまい、英語で会話をするのであるが、実は彼女は完全に日本人としての日本語も話すのだ。完全無欠のバイリンガル・カーラ女史とは最初から意気投合し、この後の滞在中も我々だけにしか分からない楽しい(悪趣味とも言えるが)時間を過ごした。回りから見ると「へんな外人」と「へんな日本人」のコンビであったに違いない。

この日、メンバー総勢9人で大騒ぎしながら新宿から原宿・渋谷・上野・と廻って新宿に戻って来るという珍道中を繰り広げ、夕方私はメンバーと別れて埼玉から会いに来てくれた従兄弟夫婦と再会し、夕食はまたメンバーと合流してホテルでビジネスディナー、その後すっかり夜遅くになってから、休暇を取って大阪から上京してきた妹と会った。(こうやって書くとたった5行なのだが、中身は異常に濃いのだ。)

実は私、96年の年末に一時帰国しており、その間に2日だけ東京に来ている。が、その時は年が開けた97年1月に胃の手術をすることがわかっていた。(本編その二「懐かしの切腹」参照)そんな訳で、(今初めて白状するけれど)どうしてもお会いしておきたい人たちにお会いするためだけの東京行きであったわけで、時間にも心にも全く余裕のない2日間であった。

が、今回は忙しいとはいえウン十年ぶりに回りを見渡すゆとりのある東京である。「??」だの「!!」だのが連発だったのだが、気がつけばその話までたどり着けないまま、今回は終るのだ。東京出張ネタを引っ張るだけ引っ張りまくりである。

でも、記憶が一千億光年の銀河の彼方に飛んでいってしまったら、いったい私はどうすればいいのだ…。
まぁ、その時はその時ってことで、別にいいか…。…いいのか…?
      

      


2000/04/04
本編その7:「新宿上陸記(一)」

   

月日の経つのは早いもので既に4月。去年は甲子園方面で運よく桜を見ることができたけど、今年は出張で3月23日東京着。で、残念ながら開花にはまだ早かったようである。上野の駅のそばでピンクの花を見かけたけれど、あれは桜だったのか、紅梅だったのか、それとも桃の花だったのか、不明のまま。

3月22日の朝3:30起きである。スーツを着て国際線には乗りたくないのだが、一応出張なのでちゃんとした格好で化粧までして空港に向かう。連日残業であった為、スーツケースを出して荷造りを始めたのは前の晩。ほとんど寝ていない。

午前7:10発のダラス行きアメリカンエアライン(AA)に搭乗。約1時間でダラス・フォートワース(DFA)に到着。10時に待ち合わせている他のメンバーとAdmiral Clubで合流し自己紹介他ちょっと休憩。11時には成田行きのボーイング777が出発した。総勢8名のAmerican Airline Familiarization Tripの出発である。

日付変更線を超え、成田到着は23日の午後3:05。ダラスからの飛行時間は13時間。ビジネスクラスに座っているというのに連日の疲れから殆ど放心状態で眠ることもできず、隣で熟睡している今回の同行者の一人、カーラを恨めしく眺めていた。成田からひどい渋滞の中をバスで新宿に到着し、ホテルに入ったのが午後の7時過ぎで、そのあとミーティングがあり、結局起床から就寝まで24時間以上経過しておりもうぼろぼろ。

ミーティングの前に各自部屋に入るためホテルのロビーを歩いている時に心臓が止まるほどビックリする大音響。誰かがパッターン!と転倒した音である。頭を打って死んでいるんじゃないかと慌てたが、近くに行ってみるとスーツ姿のビジネスマンが若い女の子の腕を引っ張って床から助け起こしていた。なんだあれは?あの靴は?(あれは靴か?)なんだあの格好は?あのヘアースタイルは?あの化粧は?一体全体何者なんだ?

まだ街の中に出てもいないホテルに到着早々からいきなり「?」マークの連発であった。この後丸3日間の東京滞在中、「?」と「!!」怒涛の連発である。

さぁ、この出張ネタをどこまで引っ張れるか、未だに時差ぼけでぼーっとしている私は「ふっふっふ…」と気色の悪い笑みをうかべつつ、本日はここまで。

随分久しぶりの東京はやっぱり東京であった。
ま、別にいいんだけどね…。
      

    


2000/02/27
本編その6:「ブッシュさんたち」

           

ふと気がつけば2月も終わりかかっております。更新が超遅くなりました。どうもすみません。前回愚痴だらだらさせて頂いた幕末翻訳もやっと終わり、しばらくリハビリの期間が必要な感じ。こういう時に限って会社の仕事が忙しくて連日地獄の残業の日々だったりするもんだから、切り替えが上手くいかない今日このごろです。

さて、こちらは今、大統領選挙に向けての共和党候補、民主党候補を決めるプライマリーエレクションの時期のため、テレビでは各党の候補者たちが口角泡飛ばしている姿を殆ど毎日見ることが出来ます。順調であれば4年ごとのこのお祭り騒ぎは、毎回色んな話題が飛び出して、面白い限りです。日本とは全く違う選挙システムなので、説明はすっ飛ばしますが、私の予想では共和党はブッシュ、民主党はゴアが選ばれるような気がするけれど、この二人が対決すればブッシュが勝つだろうなー。(私がテキサスに住んでいて、あるパーティにて本人と握手したことあるからそう思うのかもしれません。すいません、ミーハーで。)

元大統領のブッシュ父はヒューストンに住んでおり、75歳だかになるのだけれど、実に精力的に色々な仕事をやっています。(お父さんの方にも日米協会のパーティで会ったけど、握手は出来なかった…)息子が二人も州知事で(テキサスとフロリダ)、そのうち一人が大統領候補。こうなるとやはり出身階級からして違うのねー、と納得する他はないようです。アメリカは階級社会なのさー。

お父さんは息子のキャンペーンに忙しく走り回っていて、一昨日は気分が悪くなってフロリダの病院に一泊したけれど、翌日はヒューストンに帰ってきていました。TVでの通りすがりのインタビューに対して、「日本に行った時の首相主催の晩餐会でげろげろしたのを思い出してるかもしれないけど、あれは食中毒だからねっ。今回のは全然違うよ。ちょっと疲れてたから大事をとっただけで基本的にメチャ元気だからなー。バーバラと二人で非常にハッピーだぜーイェイ!」みたいなコメントをしていました。80歳の誕生日には再度(!)スカイダイビングをやる予定だそうで、日本の政治家にはできないことでしょう。中曽根さんとかがやってみれば面白いのにねー。あと、宮沢さんだな、やってほしいの。(余談ですが、スターウォーズのヨーダを観るたびにミヤザワが出ているといって笑っているうちの家族。)

ブッシュ息子テキサス州知事の方は双子の女の子の父親で、2年ほど前のパーティでは、「ティーンエージャーの女の子が二人も家にいると、お父さんは心配でたまらん」とスピーチの中で話しておった。家庭的な奥さんのローラと4人家族で、クリントン大統領とは好対照でありましょう。(再度脱線。ヒラリーが上院に出て、そのうち大統領になったりしたら、ファーストレディという言葉の旦那さん版はどうなるのでしょうね。ファーストハズバンドとかいうのか?)

日本の選挙とか首相交代劇では、せいぜい造花のバラの花が名前の上に飾られて、だるまの目を入れるくらいの盛り上がりですけれど、こちらのキャンペーンは一面人気投票的な部分があり、フーセンは飛びテープや紙ふぶきは舞い、ラッパはわめき人は叫ぶ、そりゃもう賑やかったらないですよ〜!賑やかついでに、同じ党の候補者達がたった一人の党指名候補の座をめぐって争っている今の段階で、お互いにぼろくそ言いまくりで、同じ党に所属しているということを疑ってしまいたくなることもあるくらい。これは民主党も共和党も同じです。わかりやすくていいけどね。日本だったら即刻不謹慎だといわれて抗議の電話が殺到するところでしょう。

各候補の政治的なプランはもちろん細かく論議されているのだけれど、全米の国民一人一人が各候補の政策を一つずつ検討したうえで選ぶとは考えられないし、検討したとしても理解できているとは思えない。もちろんちゃんと解っている人もいるけれど、教育や生活のレベル、人種の差、それぞれがあまりに幅が広いので、結局はわかり易い個人攻撃が選挙人の判断に影響するのではないか、と思ったりもしますけども。

永住権は持っていても市民権がない私は当然選挙権を持っておらず、あーだこーだ言っても結局は傍観者であり、他人事には違いないのだけれど…。

それならそれで別にいーじゃん。面白いしー。

       


2000/01/10
本編その5:「ちょっと長い愚痴のようなもの」

2000年最初の「それ別」ということで、少々時期を逸しておるような気が致しまするが、明けましておめでとうござりまする。皆様方におかれましては至極ご健勝のご様子、嬉しく存じ奉ります。さて、今回のそれ別でござるが、翻訳内職に四苦八苦の毎日、その中から一つ二つと話題を拾い出してみることと致そう。曰く、窮鼠猫を噛む、あるいは、二兎を追うもの一兎も得ず、とも。

映像による表現は、画像を見ることによって物語の情景・背景が一目瞭然のため、翻訳は簡単であると思われているかもしれないが、じつはそれが一番大変だったりするのだ。作品の文化的背景を理解できる視聴者を対象とした作品を、全く異質の文化圏の人たちに見てもらうために、翻訳という作業が仲介役になるわけだが、翻訳者泣かせなことばっかりで、連日泣いているわたしだ。(;;)

例えば、標準語のアクセントで話す登場人物と関西弁を話す登場人物が会話することによって、見る人は『この二人は出身地が違う』ということを約束事として理解するのである。同様に、時代設定が遡った作品の場合、侍言葉を話す登場人物は侍だと理解するし、商家のおかみさんと大名家の奥女中とは全く違う話し方する。それによって出自が違うということを、説明なしで視聴者は理解してしまう。但し、それは日本人の場合。

冒頭で訳の分からん侍言葉もどきの文章を見て、大岡越前ごっこか?と日本人は思う。少なくとも時代劇調であることはお解り頂けると思う。だがしかし、冒頭の段落を英語にすると、侍だろうが町人だろうが、女だろうが男だろうが、全部同じ英語になってしまう。英訳例は以下の通り。

This is the first issue of 「Sore Betsu」 in the year 2000. It might be a little late, but anyway, A HAPPY NEW YEAR! I'm glad to hear that everybody is fine. In this issue of 「Sore Betsu」, I would like to pick up some topics from my side job, translation, which keeps me very busy everyday struggling to do them. You can call this situation 「A desperate mouse bites a cat」or also you could say 「If you try to catch two rabbits, you might end up with nothing」.

この訳は、元の日本語が標準語だろうが大阪弁だろうが、男言葉だろうが女言葉だろうが、宮中言葉だろうが、落語の熊さん八っつぁんだろうが、全部同じである。言い換えれば、『冒頭段落の言葉づかいが現代の普通の日本語ではない』ということは、『説明しないと分かってもらえない』ことなのだ。

現在進行中の翻訳は幕末の乱世を舞台にした人斬りが主人公である。当然日本史上に名前を残している人が多数登場する。だがしかし、アメリカ人には高杉晋作も吉田松陰も桂小五郎も、一括りに昔のサムライなのである。新選組も長州藩士も区別はできない。で、どうするか?ということである。

幸いにも私は作品毎に契約書を交わす契約翻訳者である。すなわち、「正確に訳す」ということが使命であって、英語の字幕で画面が埋まるとか、セリフが長すぎて画面と一致しないという心配をしなくてよい。(なんてラッキー!)

結果、翻訳した英語原稿の半分は『注釈』で埋まっている。そして『正確』が命と開き直る。必要ならば台詞ごとにその言葉の意味のみならず、その背景にある歴史的事実や人物の説明を記載する。ラッキーついでに、私は大学でアメリカ史を専攻し、日本の高校で日本史と世界史と現代社会を教えていたという前歴の持ち主だったりする。

でもね、「この果報者め。」を「What a lucky guy you are!」って訳すのは心がイタイのよ。サムライの戦いの前に「名を名乗れ!」と言われて、「What is your name?」とは訳せないでしょ。戦いの前に自分が名乗りを上げるのが日本のサムライの礼儀であり、「やぁやぁわれこそはぁ…(以下延々と名乗りを上げる戦場の武士)」という知識のない人が、「戦の最中に自己紹介をしている能天気なサムライ」と理解するのは防ぎたい…でも…。

修羅場の私は「くぉのやろぉわぁぁぁぁ、どなんせぇぇぇちゅうんじゃぁぁぁぁ!」とPCに当たり散らしておるのですよ。とほほ。

まぁ、それならそれで別にいいけどね〜…。


1999/12/12
その4:「曖昧表現と直接表現の罠」

おまた〜(誰も待ってないか…)。1ヶ月のご無沙汰であった。さて、本日の話題。日本語英語両方ぐちゃぐちゃの世界に身を置き、且つ翻訳内職を長年やりながらつらつら身に染みて思うことのあれこれである。(前回の君が代ネタが異常に受けたので、今回は実にやりにくいったら…)

例@「担当者である貴方はこのABCについて、このまま進めていくことに賛成ですか?」というアメリカ人からの「Yes or No Question」に対して、日本から派遣されて来た担当者は大抵の場合、難しい顔をして重々しくこんなふうに答える。

「これについては経緯詳細を日本の担当部署に連絡し、部内で充分検討させていただいて、まぁAについてはBとも考えられますが、ここですぐお答えするという権限は私にはございませんし、それにCの場合はDとも解釈できるのではないかと思われますので、充分時間をかけて前向きに取り組む方向で検討したいと思っているわけです、はい。」

このやろ〜わぁ〜!と思う瞬間である。「ぼくちゃんわかんないからかってにきめといてくれたらいいの」って訳すぞっ!(この調子で10分ほど喋り続けた日本人の発言内容を「NO」の一言で片づけてしまったことがある。その10分間神妙な顔をして私と担当者を見つめていた10数人のアメリカ人は全員コケたけど。)

日本語には曖昧表現の「美」というものがあり、行間から奥の本音を察する、ということもまた真実かもしれない、とは思うものの、実際の会議の場でこれをやられると一人困るのは通訳さんである。でも通訳さんが即死するのはやはり日本オヤジの「必殺駄洒落わざ」である。これはキクね。

例A「オハイオ州だけに年中おはよーだな。」<言葉もない通訳…。
例B「あ、これは訳さなくていいからね、厄年だけどさ。」<つまんねぇよ…。

語彙で遊べてその上曖昧表現が発達している言語は、直接表現の言語よりも進化している、というわけでは決してない。異なる言語の交錯する場は、そこにいる人間の本性を露呈し、容易には抜け出せない罠だらけである。
まぁ、それならそれで別にいっか…。


     

1999/11/8
その3:「病気編パート2:こないだの続き」

さて、前回切腹話の続きで、入院中の話である。面倒な話は今回パスして、付き添い中における私のハズバンドの話に焦点を当ててみたい。彼は約10年前に日本に2年間住んでおった。おまけに田舎の高等学校で、生きたテープレコーダーと呼ばれるアシスタント英語教師をしておったのだ。つまり、私たちが当然経験している色々な学校行事を知っている、実に希な米国人である。

彼は毎日仕事の後、メディカルセンターの私の所まで来て、歩行練習に付き合ってくれた。手術翌日から歩かされているわけだから、私は痛さに涙ぐみながらよちよちと、まるで止まっているような進み方である。一緒に付き添っている彼としては正直言って退屈であったろう。私は呼吸するのも痛いから当然沈黙だし。

あれは、まだ3日目かそのへんで、痛さに涙目状態の私に付き添っていた彼は、思いつくまま色んな話をしてくれていた。日本の高校での思い出話も当然出て来る。昨今話題になっている「君が代」の話である。米国国歌を聞きなれている耳には、あの「きぃ〜みぃ〜がぁ〜あ〜よぉ〜お〜わぁ〜」を体育館で聞く度に文化の違いと言うものを肌で感じていたに違いない。行事の号令係りの先生は、普通勢いよく「君が代斉唱!」って怒鳴る。体育館にいる人々は殆ど条件反射で咳払いなどしながら起立し、歌ってしまうわけである。が…。

「『君だよっ!』(Hey, You!)という題名の国歌は少し変っていると思わないか?」

大真面目で言う彼の言葉を聞いた瞬間、私は死ぬと思いましたね。(何度も言いますけど切腹直後で28個のホッチキスはお腹に止まったままで、あちこち管だらけで、息をするのも痛くて涙がポロリ状態の私です。)

その号令は、彼の耳には「きみだよせいしょう!」と聞こえていたのだ。それをきっかけに始まる奇妙な旋律が日本の国歌らしい、という認識は正しかったのだが…。彼は長い年月、ず〜っと心の引き出しに仕舞い込んでいた素朴な疑問を、ついにあの病院の廊下で、私の歩行練習中に披露したわけである。

沈黙のままいきなり涙を流して震えている私を見て、彼はひたすらおののいた。回りの看護婦さんたちは慌てて私達に駆け寄り、キツイ口調で「あなた、いったい彼女に何をしたのっ!!」と彼に詰め寄っている。健康な時であれば、涙を流して大笑いしたであろう私は余りの痛さに言葉も無く泣いている。

廊下で立ちすくんだまま苦しい息の下から看護婦さんに彼の無罪を説明し、そのあとしばらく滂沱の涙。

日米文化の壁は厚いぞ、クリス。
それならそれで別にいいけどね〜って、ホントか。
       


1999/10/18
その2「病気編パート1:懐かしの切腹」

入院したのは切腹当日97年1月25日の早朝である。1週間前から食餌調整して準備万端。手術前夜、自宅に巨大点滴袋と看護夫(Tシャツにジーンズのにーちゃんであった)がやってきて点滴開始。翌朝久保キリコ買い物袋をぶら下げて、テキサスメディカルセンターにあるSt. Lukes Episcopal Hospitalにチェックイン。久保キリコ氏も点滴袋を運ぶ目的でキャラグッズを作成したわけではあるまいが…。ま、許してもらおう。

手術着に着替えてこれから手術の他の患者たちと待合室。昨日からぶら下げている点滴に「リラックスするけんね〜」と言う笑顔のナースがぷっちゅんと注射液を加えたなぁと思ったら、私は病室にいた。あっという間もなく5時間である。

翌日の朝、寝ていると回復が遅くなるのでベッドから降りて椅子に着席。その後の回診時、初めて自分の切腹跡を見た時が一番感動した。幅広のセロテープの様なものをぺろんと貼り付けているだけである。28個のホッチキスで止まっている傷口は透けて見えている。まるで荷造りテープそのものであった。ドクターは「剥がしましょうね〜(びろびろびろ〜)」ってあんたね〜…。

追い討ち。蒲団巻腹部を持つ巨大看護婦がやってきて「廊下を歩きましょうね〜」。言っておくが私は鼻とか腕とかあっちこっちから管やら点滴やらをぞろぞろ引きずっておるのだ。昨日切腹したばかりなのだ…。声なき主張は当然却下され、点滴棒を杖に、枕をお腹に当ててしずしずと歩行訓練の開始である。

5日目。退院っ!すごいな〜。ホッチキス28個ついたまま退院してしまった。発見時には直径3センチだったのを胃の中で大事に育てて、出てきたものは直径7センチのまるまると太った良性腫瘍でありました。

退院するまでの5日間、看護婦さんはみんな力持ちで優しくて陽気で、でも回復の為には甘やかさないという姿勢が却って気持ちいい。病棟は能天気に明るく、身の回りの品も一切持っていかなくても準備されている。ローション類や枕(新品だよ)は全部持って帰ったあの頃が懐かしい。だって、会社休んでも誰も文句言わなかったしさぁ…。 つづくよっ!


      
1999/10/10

その1:「空間占有率とその変動値」

テキサスは広い。「広い」ったってそんじょそこらの広さではない。おまけに人口が少ない。たった1700万人が日本の約2倍の広さに散っているわけである。日本は1億3千万人いるのだぞ。

一人あたまの占める空間の広さ、というのは実はすごく基本的な本能ではないかと思うのです。でも、ガラパゴス諸島の動物たちが独自の進化を遂げたごとく、あるいは、オーストラリアにしか生息しない動物がいるごとく、この空間占有率的本能というのは、時間の経過とともに独自の順応性を発揮するらしい。(とんでもないたとえであることは承知しております。)

一時帰国した時に一番しんどいのはこの順応性の調整である。ラッシュアワーの電車に乗らなければならない状況が生まれたとしよう。私はたいてい電車を2〜3台見送るのである。渋谷の駅で柱の影に隠れてボーゼンとしたり、壁に張り付いて人の波をやりすごしたりしたのである。それでもなんとか山手線に乗ってはみたものの、目的の駅で降りることができなかったりするわけである。

この症状を助長するのが、人種の均一化である。つまり、駅の地下通路をどわぁぁぁぁっと歩いて来るのは全部まっくろけな髪をして平均身長がこまかい人々である。(これについての詳細はまた別の機会にしますけどさ。)

30年以上日本に住んでいて何ともなかったことなのに、たった9年足らずの間にここまで順応してしまうというのも問題かもしれんが、おそらくこれは狭い所から広いところにやってきたせいで、逆だったらもっと大変だろうと思う。

高速道路を運転していて360度見渡せる風景。会社の通勤途中に野生の鹿に遭遇する風景。(これは勤め先のロケーションがかなり関係する。ヒューストンのダウンタウンは高層ビルの集合地区ですから、鹿とか牛馬が走り回っているわけではないぞ。)

いっぺん来てみないとわかんないだろうなぁ〜と思いつつ。
それならそれで別にいいけどさぁ…。

US Geography Tutorial


         
 1999/10/2
プロローグ: だからどうしたって言うのよ

はじめまして。あらんめです。

なんだかよくわからないうちに、それタダになんか書くことになりました。

ご存知の方はとっくにご存知のように、私は日本に住んでいません。米国テキサス州ヒューストンでの生活が8年と6ヶ月を過ぎました。もうすっかり訳の分からない浦島太郎子化しています。

すっかりテキサス人化しているか、といわれると、やっぱり日本人です。日米双方の文化を享受できる、というと聞こえはいいですが、狭間にはいって一人腹立てまくり、と言い換えた方がいいかもしれません。

こういう私の日常に管理人さんはいたく興味をお持ちになって、無謀にも原稿依頼メールをあらんめ宛に送信してしまった…、というわけです。<引き受ける奴も無謀だという説もある。

おもしろそうな色々な題材をあらんめの日常から選びだし、一方的に切り刻んでしまうという、何が出てくるか誰にもわからん闇鍋系のページを目指します。「脱力闇鍋系」という新ジャンルに分類していただけたら、と思います。

頭の中で熟成中のいろんな話題を整理整頓するのにちょっと時間をいただいて、第一回目はそのうち始まります。<当てにならんという説もある。

今回は本編に入る前のご挨拶です。

「挨拶なんかいらんからさっさと始めろ〜」「そんなもんは読みたくないわい〜」、

いろんな声が聞こえてきます。

それならそれで別にいい。


   

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